自分のキャリアストーリー

【4話完結】人材紹介と私/第3話:教えることは学ぶこと

人材紹介を始めてから時が経ち、環境も変化していく中で新たなチャンスが芽生えてきたが、それは何だったか。仕事に対する自分オリジナルな取り組み方、考え方は何だったか。経験を積み、ノウハウを蓄積していく中で気づいたこと、それは「教えることが最強の学びである」ということだった。その思いについて書く。

1995年からマレーシアに渡り、私は海外で起業することに挑戦しました。それ以前の大手企業勤務を辞め、日本を離れて海外で起業する道を選んだのですが、その時のことは、「人材コンサルタントになる前の話/パート2:海外起業」で詳しく紹介しています。その後、6年の海外生活を経て、21世紀を迎えることを節目に日本への本帰国を決め、帰国後は人材コンサルタントとして外資系企業に勤務をはじめ、新しいキャリアで再出発をしました。この時のことは、「人材コンサルタントになった後の話/パート1:外資勤務」および「人材紹介と私/第1話:人材紹介との出会い」でも読んでいただけます。

そこで、今回はこれまでのコラムには書いてこなかったこと、たとえば人材紹介の仕事をしながら自分は何を考えていたか、環境の変化の中でどのようなチャンスが生まれてきたか、新たなチャンスのつかみ方やリスクの負い方における私独自の考え方などについて、率直に思うところを書いてみたいと思います。

最初に断っておきたいのは、うまくいったことは既成事実化されたうえで、後付けで成功した要因をこと細かに述べて、自分の判断を正当化したり、運の良さを強調したりできるものです。しかし、そうした話の多くは、それなりにことの経緯や結果に納得はできたとしても、第三者が同じように取り組んだとして、その再現性がどこまで実現するかと言えば、話の中で抜け落ちがちなタイミングの違いや、それに伴う外部環境の状況、そして様々な支援者の存在などの要素も大切なため、なかなか簡単には真似ができないという問題が残ります。それをどこまで表現できるかと言えば、当事者である自分自身でも書き始める前から限界を感じます。それはだれしもつらい記憶や不都合な事実は忘れたり、その後に続いた楽しいことやうまくいったことで記憶を上書きして、過去を乗り越えていくからです。パナソニックの創業者である松下幸之助の有名な格言の一つに「失敗したところで辞めてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければ、それは成功となる」という言葉がありますが、私も、まさにこれを人生訓として、ここまで何とか頑張ってきているということで、前置きが長くなりましたが、この後の話も、その部分をご理解の上で、何かのお役に立てていただければと思う次第です。

さて、2001年1月、新しいミレニアムの始まりに沸いていた時、私は人材紹介の世界に第一歩を踏み出しました。最初の1年間は、新しい顧客や求職者の確保に人並みに苦労しましたが、「外資系企業で働く中間管理職」の中途採用の支援をターゲットにした外資人材紹介会社のビジネスモデルは、その時代、いわゆるブルーオーシャンの状態(競合が少ない未開発の市場)だったため、私の売り上げは順調に増えていきました。タイミング、ターゲット、そのどちらも恵まれていたと思います。

このように、私にとって幸いにも人材紹介の仕事は滑り出しがよかったのですが、始めてから約1年もたたないうちに、新しい仕事にチャレンジするチャンスが生まれましした。それは、2002年5月に「外資系で結果が出せるストリートワイズなヤツになれ(総合法令出版)」という単行本を出版するチャンスに恵まれたことです。仕事を終えて帰宅した平日の夜間や週末に執筆をつづけ、約半年かけて仕上げましたので、本を自分の名前で出す話を出版社から頂けたのは、実際日本に帰国して1年も経過していない頃のことだったのです。(私の著述活動については、「人材コンサルタントになった後の話/パート3:著述活動」で詳しく書きましたので、関心のある方はそちらをご覧ください。)

この頃、人材紹介の仕事をしながら私が考えていたことは、「どうしたら自分の知らないビジネスパーソンが自分にアプローチしてくれるようになるか」、このことが常に頭の中を占めてました。人材紹介の仕事では、求人企業が探している人物に近い人物を自ら探すことが仕事なのですが、自分から探しに行くだけでなく、相手からも近づいてくれる仕掛けが必要であることを痛感していました。そこで思いついたのが、自分の過去の経験や強みを活かして、自分の存在を不特定多数のビジネスパーソン、特に外資で働いている中間管理職のビジネスパーソン、もしくはいつか外資で働きたいと考える日本企業で働く中間管理職のビジネスパーソン向けの広報活動をしようと考えていました。その具体策が、著述活動だったのです。

私は海外で仕事をしていた時に求人誌を発行する仕事をしていました。顧客開拓の営業や、会社経営の仕事以外にも、編集者やライターの仕事をしました。この経験を活かし、帰国後も著述活動をしようと思ってはいましたが、その目的として、「優秀なビジネスパーソンを刺激するようなストーリーを情報発信すれば、それに啓発された方々が自分にコンタクトしてくれるのではないか」との仮説を立てたのです。

そう思うように至った背景には、一つの気づきがありました。それは、「優秀な人材と出会えれば売り上げがあがる」という当たり前の事実です。優秀な人材の定義ですが、それは「求人企業が探してる人物像」のことです。具体的には、求められた業務経験がある即戦力で、会社に貢献した実績がある人です。過去の学歴や職歴で自らのポテンシャルの高さを売りにする「求人企業の求める経験や実績が足りない」人ではなく、「求人企業が求める経験や実績を現在持っている」人のことです。そして、このタイプの人材は、常に自分のキャリアの10年後、20年後を見据え、いろいろと情報収集に努めているはずだと思いました。その人たちが知りたいと思うような情報を集め、それをわかりやすく伝えること、これが私が取り組んだ著述活動です。

21世紀最初の10年間、世の中はグローバル化がますます進み、転職社会が到来していたことで、多くのビジネスパーソンは自己啓発になる刺激を求めてビジネス書に注目が集まっていました。2002年5月に発表した処女作以降、ほぼ毎年のように新作の執筆に取組みました。もちろん、本の執筆はそれ自体が創作活動であるため、本を書きおろすことにやりがいを持って取り組みました。それと同時に、この取り組みを始めたことで、「優秀なビジネスパーソンを刺激するようなストーリーを情報発信すれば、それに啓発された方々が自分にコンタクトしてくれるのではないか」という仮説が正しかったことを立証することができました。実際たくさんの読者の方からアプローチを受けましたが、その中には外資系企業で活躍している管理職の方々も多く、その方々から求人の依頼を受けるようになり、転職の相談を受けることも増えたのです。

人材紹介の仕事で売上を上げる確率を高めるためには、自分独自のルートでビジネスパーソンへのコンタクトを開拓できることが大切です。他の人材コンサルタントが知らない人物、または転職市場で活動を始めていない人物などと知り合えることができれば、他の競合先の人材コンサルタントよりも早く、その方の支援を始めることができます。私は、著述活動を通して、世の中の優秀なビジネスパーソンとつながることを目指しました。さらに、自分の考えをわかりやすく文章にまとめることを続けたことで、キャリアに関する私の考え方を広く知ってもらうことにもなりました。本を一冊書きあげるには時間がかかりますが、その間深く掘り下げて物事を考えることができたため、自分にとって勉強にもなりました。

著述活動は、採用を検討している求人企業や転職したい求職者との出会いを生み出しただけでなく、新しい仕事ももたらしてくれました。たとえば、上司論、部下論について書いた本のおかげで、企業向けのリーダーシップ研修の仕事の依頼がありました。ビジネスパーソンの時間管理術について書いた本のおかげで、企業のタイムマネジメント研修の仕事の依頼が入るようにもなりました。転職に関する本を書いたおかげで、大学生の就活フェアや若手ビジネスパーソン向けの中途採用のキャリアフェアなどで講演の仕事依頼が入るようになりました。こうした研修講師の経験を積んでいくうちに、いくつかの企業から新入社員研修や若手社員研修の仕事が毎年続くようにもなったのです。

人材紹介の仕事は、一つひとつが個別のプロジェクトであり、2~3か月をかけて一つの仕事を仕上げていきますが、著述活動は約半年かけて一冊の本を作り上げ、研修講師は半日から1日で完了する仕事です。年齢にして33歳からの約10年間、私はこの3つの仕事に打ち込みました。人材紹介の仕事を成功させるために著述活動と研修講師の仕事はあったのですが、そのどれもが互いに深く関連しあっていて、それぞれの仕事を全うすることで、私自身のビジネススキルを育てることにつながりました。

本を書くなんて簡単い出来ることではないと思う人もいるかもしれませんが、私は専門書のような難解な学術書を作ることを目指したのではありません。読者が読みたいと思うテーマを出版社の編集者との議論の中で見つけていき、出版社の判断で、その本を売って採算が取れると判断されたとき、企画は日の目を見ました。もちろん、ボツになった企画もありました。中には、自分が書きたいと思った内容や、自分が詳しく知っていることや経験したことについて企画したときもありますが、売れないと判断されれば、その企画を出版社は本にはしてくれません。編集者がゴーサインを出しても、実際に本を販売してくれる営業からダメ出しが出ることもあります。こうした経験を繰り返したことで、私は少しずつ顧客の立場に立てるようになり、何を顧客が欲しているのか、そのことを最優先して考えられるようになったのです。

人材紹介の仕事を通して、私は人材育成の仕事と出会いました。外資系企業で管理職として活躍するビジネスパーソンは主に30代から50代なのですが、人材育成の仕事も一部の例外(新入社員研修など)を除けば、同じ年代向けに提供する仕事でしたので、そこでも様々な出会いが広がり、私が知らない相手から、人材紹介の仕事(人を探してほしい、または転職先を探してほしいなど)を依頼されることが増えていきました。

いい仕事をすれば、いい仕事が舞い込んできます。優秀な人と出会えば、その人の周囲には優秀な人がいます。実績は一つひとつ、積み上げていくものです。失敗してもめげず、次は失敗しないように頑張ることが大事です。自信がなくても、努力してまずはやってみることも大切です。相手から信頼されれば、仕事はどんどん広がっていきます。私の著述活動は、まさにそうして広がっていきました。最初に出会った編集者の方がチャンスをくれた時、私は全力で仕事に取り組んだわけですが、その後も、同じ編集者の方と10年以上にわたり、本作りの仕事を何度もしました。いい時も悪い時もありました。出版社が倒産し、私が書いた本の印税が支払われなくなったこともありました。私は倒産企業の債権者説明会に出席しましたが、債権は放棄しました。本を作れたことで、編集者の方との仕事は終わっていました。もちろん仕事の対価を得られなかったのは残念でしたが、会社が倒産したのですから、あきらめがつきました。

お付き合いしてきた編集者の方々の知り合いや友人、後輩の方々とも新しい本を書く仕事や雑誌の取材などの新しい仕事も多数生まれました。これらのことと同じことは、人材紹介の仕事でも何度も起きたのです。私は、チャンスというのは、人と人のつながりを通じて巡るものだと、この時気づきました。仕事には、チャンスもあればリスクもあるし、成功もあれば失敗もあります。ただ、やりがいがある仕事が発生する時というのは、「あの人に頼もう」という、仕事の発注者である相手の思いが、全ての原点にあるのです。誰でもいいから、安ければいいから、というような無機質な仕事を請け負うことがないよう、私達は日ごろから、人間の善意と熱い想いのこもった仕事を選ぶ必要があるのです。

人材紹介と人材育成の仕事を通して、私は「人に教えることが、自分自身にとって一番の学びであること」に気づきました。本の執筆をするためにはいろいろ情報収集をしました。企業向けの研修プログラムを作るためにも、様々な勉強をしました。そして、人材紹介では、自分が働いたことがない業界や会社、そして職種について深く学びました。学んだことは、著述活動、研修の仕事、そして人材紹介の時にも、相手にわかりやすく教えたり、説明することとなり、そのアウトプットをうまくできた時に、自分自身の学びが一番深まったことを実感できたのです。

「教えることが最大の学び」

人材紹介の仕事は、私に人生最大の教訓を与えてくれました。全4話で始めたコラム「人材紹介と私」も、次回の第4話がいよいよ最終回です。人材紹介の仕事が社会に灯(あかり)をともす仕事であることについて、私の気づきや思いを書いてみたいと思います。