自分のキャリアストーリー

人材コンサルタントになった後の話 【パート2:国内起業】

2008年9月15日、アメリカの投資銀行であるリーマン・ブラザーズが経営破綻したことに端を発して、連鎖的に世界規模の金融危機が発生した時から、もう10年以上が経ちます。隔世の感があります。

リーマン・ショックと呼ばれたこの一大事件の1週間前にあたる2008年9月9日、私は人生二度目の起業をしました。1回目は1996年に海外(マレーシア・クアラルンプール)で起業したので、実に12年ぶりの起業でした。起業した場所は今回は日本(東京)であり、新宿3丁目駅近くの小さいレンタルオフィスですべては始まりました。

【パート1:外資勤務】のコラムで紹介したように、41歳の私は同業他社に転職するのではなくて、自ら起業することを選びました。外資系の人材紹介会社で8年近くサバイバルしたことで、本業で結果を出すことには自信がありました。しかし、世の中の景気は急転直下のごとく、リーマン・ショックを機に落ち込み始めました。そんなタイミングで、私の小さな事業は船出をしたのです。

1回目の海外起業とは異なり、私の2回目の起業は、タレントが自分の芸能活動を管理する事務所を設立して独立するような、そんな感覚で始めました。外資で8年間働いて、その間に7人の社長につかえましたが、もう外資は卒業してもいいのではないかという気持ちもありました。

40代からの生き方についても、じっくりと自分で模索しながら見つけたいとも思いました。会社都合で部署の異動や勤務地が変わっていくことに違和感を持ち、自分の人生は自分で操縦するという大原則は、40代以降も続けたいと思いました。

2008年8月には北京オリンピックがありましたので、世界から一流選手が集まったスポーツの祭典を見ることができてモチベーションも上がりました。

外資をやめることになったこと、おりしもそれがリーマン・ショックと重なったこと、辞めることになった外資系企業が自分が辞めた約半年後に日本市場から完全撤退したことなど、人生にはいろいろな出来事が起きます。それでも自分が人生の操縦席に座り、自ら操縦桿を握ってさえいれば、どんな嵐が吹いて遠くに飛ばされたとしても、嵐はいつかはおさまり、自分はまた自らの進みたい軌道に自らの力で戻れます。

41歳で起業して4年後、2012年4月、ひょんなことから大学教員になる道が開けました。このあたりの経緯や、その後の仕事については別のコラムで書きたいと思います。

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