自分のキャリアストーリー

人材コンサルタントになった後の話 【パート1:外資勤務】

アジアでの仕事を終えて帰国した直後、私は人材紹介会社に転職の相談に行きました。相談に行った会社の一つが外資系の人材紹介会社だったのですが、その際、ベテランの米国人ヘッドハンターから「ヘッドハンターにならないか」と持ちかけられたことをきっかけに、私は人材紹介の道に進みました。

アジアから帰国した時、私は33歳でした。久しぶりの日本で、どのような再出発をするかいろいろ考えましたが、人材紹介の仕事や外資系企業の働き方や待遇を聞いたとき、時間が自由であることや、自分の頑張り次第では収入を大きく伸ばせることが自分の希望とマッチすると考えて決断ができました。

2001年2月から2008年8月まで私は外資系の人材紹介会社で働き、ミドルからシニア管理職の採用支援をしました。景気はおおむねいい時期でしたが、特に2006年には自分の年間最高売り上げ記録を作ることができました。いい時期だったと思います。売り上げについてはフィールにビジネスポートフォリオとして簡単にご紹介しましたので、関心のある方はそちらをご覧ください。

外資系企業、それも日本支社は新しいオフィスであり、まだ社員も10数名しかいない規模でした。ほとんどの社員が外国人社員であり、私が任された新しい消費財チームには部下が若い部下が3名、そのうち2名は外国人でした。スピード感のある仕事で、実績があがればすぐに社員を増やすという流れに乗り、私のチームもすぐに倍の大きさになり、その時点から2つ目の領域として、製造業チームの立ち上げに挑戦しました。そのチームも幸い良いメンバーが集まり順調に実績を伸ばし、私は3つ目の領域、今度は職種の専門チームである人事チームを作ることになりました。人事チームは外国人コンサルタントが長く担当していたのですが、事情がありチームメンバーが全員いなくなり、ゼロからの再スタートとなりました。

その時点では私自身の売り上げも安定し、消費財、製造業の両チームも売り上げ好調であり、メンバーも一人ひとりが20代後半から30代後半までの優秀な若者集団であり、このチームを次のレベルに引き上げるためには、全顧客に共通した重要なポジションである人事マンの転職支援に挑戦することが、最も戦略的であるという判断をしていました。

同僚の退職により、そのチャンスがまわってきた私は、3名のコンサルタントで構成される人事チームを作り、消費財、製造業の両分野の顧客企業で働く人事マンの転職支援を始めたのです。これが、私にとって外資系企業で最後の仕事になりました。

2008年8月には北京オリンピックが開催されて世の中は盛り上がりを見せたのもつかの間、同年9月にはリーマンショックが発生し、世界経済は混乱期に突入しましたが、私は時を同じくして同年9月に外資系企業を去りました。人生はいろいろなことが起きます。それから約半年後、その外資系企業は50名ほどいた日本支社の社員を全員解雇し、日本市場から撤退しました。

世の中は混乱し、企業も採用停止や採用計画の縮小を始めたころでしたが、私なりの考えがあり、競合他社に転職をするのではなくて、人生二度目の起業に挑戦することにしました。前回海外で起業した時とは違って、今回は会社を大きくすることを目指すというよりも、芸能人が自分のタレント事務所を作って芸能活動をするように、私も自分のタレントマネジメントをして、今後はいろいろな企業と契約をしながら、自分の経験やスキルを売り、自分が得意でやりたいと思う仕事に挑戦して生きていこうと決意したのです。

もちろん突然このようなことを思いついたというより、2001年に帰国して外資系企業で働くようになってから、いろいろな会社の出来事を目撃し、仕事柄多くのビジネスマンのキャリアとも向き合いました。2002年には初めて自分の名前で本を書く機会を得て、以後著述活動を続けて15作品以上をこれまでに上梓してきました。こうした活動を通じて、いつか外資系企業を辞める日が来たら自分は次はどうしたいか、そのことには答えを出していました。

外資系企業で働いた経験は、自分の人生においてとても大きな意味を持ちました。人脈が多国籍企業に広がり、多くの友人がもできました。一方、社長の入れ替わりの激しい外資系企業で働くのはもう卒業してもいいかなと思うようにもなったころ、次のステップに進むきっかけが起きたという意味では、人生とは不思議なものだと思っています。ちなみに、私が勤めた外資系の人材紹介会社は世界中にオフィスを持つこの業界では大手だったのですが、日本のオフィスは業績順調だったにもかかわらず、8年間で7人の社長が変わりました。私は毎年違う社長のもとで働き、結局8人の社長 (全員外国人) にレポートしましたが、ほとんどいなかった日本人管理職の一人、そして一番の古株の日本人社員としてよく2008年のリーマンショックまでサバイバルできたなと思っています。

なぜ8年間にわたり外国人社長は毎年変わったのか、そしてなぜリーマンショックを機に日本市場から撤退したのか、このあたりのことはいろいろな見方があるところですが、もう過去のことであり、記憶も薄くなってきました。

2008年8月に自分が9月末に退職をすることが決定した直後、転職活動をしないことを決めた私は、翌9月には法人を設立して独立しました。その時のことは【パート2:国内起業】で書きたいと思います。

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